こんにちは、あさみです。
Twitterのフォロワーさんに心理学者の方がいらっしゃいまして、その方が企画した分析企画に参加しました。
結果は、私の強みは行動力!でした。
どうして日本の邦楽邦画でなく洋楽洋画なのか、どうして宇宙やアドベンチャー的なものや神秘的なものを好むのか。それが自分でも分からなかった。
だけど、分かった気がしてきました。
フォロワーさんである、あいすべさんのご紹介と、あいすべさんからのリクエストを頂いたので書きました。
最後に自分なりの感想をまとめています。
どうして、私が心理的なカテゴリーを作ったのか、その原点になります。
どのような人にも通じるのではないかと思っています。
あいすべさんの、ご紹介
Twitterで、あいすべさんと知り合いました。
心理学と焚き火を愛されている方で、noteにおける心理学部門でもっとも多くのスキを獲得されてらっしゃいます。
そんな方が企画された#あいすべ分析企画に参加しました。
引き続き、もう1枚も。
有り難いお言葉を頂戴して涙が出ました。
ブックマークして読み返している私ですが、ふと頭の中を過ったのは「ブログに載せて永久保存したい」という言葉。
その言葉通りになりました。
生きるとは過去があっての現在がある
私はどんな過去であろうと、その時代を生き抜いてきたのだからこそ、現在があるんだと、そう思っています。
簡単に説明しますが、私は毒親持ちです。現在は物理的に遠方な所に住んでいるので、まだ良しとしています。
そんな毒親元での暮らしは結婚するまでの30年間弱を過ごしていました。
何もする気なんてなかった。
でも、ふと行った場所で知り合った人に、ある言葉を掛けて貰い助けられたのです。
「あんたはそのままで良いんだよ」
本当は死ぬ気で行ったんです。
誰も知らない所で誰にも見つからずに行った場所は長崎の某所。
そこは海の近くでした。
それでも何も言わずに優しくしてくれた。2020年8月では既に亡くなられているのですが、その当時は元気で畑仕事をされていた。
なんとか生きる糧をもらった私は、一度死にかけたことがありました。結婚後には火事にも遭ったっていうのに、死にかけたのは2010年12月でした。
病院の院長の携帯番号を教えて貰い、声が出ないので何も言えずに黙って夫に病院の院長の携帯番号だからと書き添えて渡したら、「分かった」と言うとサイクリングに行ってしまいました。
何が分かったんだ?
側に居てくれたのは自閉症の長男だけでしたが、それでも誰かが居てくれるのは嬉しいことだなと本気で思ったものでした。
あいすべさんからのリクエスト
(死にかけた時は走馬灯のように流れると言いますが、今思えば、これがそうです。)
真っ暗だった。
真っ暗で何も見えないけど風が動いているので、その風に導かれるように、その箇所へと向かう。
ふいに女性の声が聞こえてきた。
「ダメよ。ここに居なさい」
そう発すると、その人は消えた。
その瞬間、風はピタッと止んだ。
その時に見えたのは、誰かの刃に掛かって倒れた女性と周りの様子。
その時、何かが自分の中に入ってきた。
「お願い、生きて」という言葉も聞こえてきた。
動けなかった私に、今度は聴き知った声が飛び込んでくる。
「あんたは、まだだよ」
それを発したのは亡くなったはずの人。
だけど姿を現すと同時に風と空間が動いた。そう思うと、真っ暗な所に居た。
ゴホゴホとむせていた。
むせながら「死ぬときは声が出るのね」と思っていたのだ。
だけど、そこは自分の部屋だった。
もしかして生き返ったの? あれは何だったのだろう。と自問自答をしようとしたら思考が邪魔をしてきた。
堰を切ったのかのように、ある記憶が雪崩れ込んできたのだ。
それが前世の記憶だと気が付いたのは、あの時、あの倒れた女性と周りの様子を目にしたのと同じだったから。
あの女性は、前世の私の母親だと直ぐに分かった。
予知夢
たまに10年後の予知夢を見ていたのは、こういうことだったのかと思い当たる。それを機に、私は生きているという証を残したくなった。
現在でも予知夢を見る。
その夢を何度も見るようになると、実際に起こるという不思議なものだ。
最初に見たのは何処かの部屋にいて、沢山の風船がありマットレスもあった。側では、誰かの子どもがはしゃいでいる。
それが自分の子どもだとは思っても見なかったのだ。
なにしろ、その夢を見たのは、まだ独身時代だったから。実際、その風船とマットレスを目にした時(知っている。ここは、あの夢と同じだ)と思ったほどだから。
そこは、自分の長男が自閉症だと診断された場所で、はしゃいでいるのは自分の子ども。
自閉症と診断されてどうしたら良いのかと悩み泣いていた。それだけではなく、あの夢は正夢だったんだという気持ちも入り交じって、初めて「怖い」と思った。
そんな思いも入り交じっての泣きだった。
毒親から「あんたの躾がなってないからだ」と罵られても何も言い返せないでいた。
「親に刃向う奴は子どもではない。出て行け!」「黙って死ね!」と言われ続けられてきたからだ。
あれから何回も予知夢を見てきている。同じ夢を何度も見ると正夢になるのは経験済みだ。
ただし、10年後になるけど…。
どうして10年後なのだろう?
記憶を探っても、ある時期だけは思い出せない。あるのは前世の記憶以外では、自殺未遂が一番記憶に古い。
その、ある時期の記憶が無いという時期は、生まれてきてから自殺未遂で保護されるまでの10年間。
それは毒親の洗脳時期だった。
毒親の洗脳
毒親というと、何を思い浮かべますか?
毒を吐く親
はい、たしかにそうです。
だけど、どのような毒を吐くのか分かりますか?
- ご飯抜き
- 殴打の連発
- この家では父親がルールだ
- 親の言うことを聞けない奴は子どもではない
- 子どもは親の言うことをきくものだ
- 親の言うとおりにしていれば良い
- 親に刃向う奴は出て行け! 死ね!
- パワハラ
- 階段落とし
- 狭い所に押し込める
- 寒くても外に追い出す
- 世間体を気にして体裁の良さしか考えない
- 言葉による支配
- 奴隷にしようとする
- 就職や進路への口出し
- 恋愛への口出し
- 子育ての口出し
- 体力に任せて傷を負わせる
他にも色々とありますが、それはもう根暗だけでなく、何もする気は起きてこなくなるということに繫がるのです。
ただ、私は結婚相手が転勤族ということもあり住居がコロコロと変わる。そのお陰で電話番号も変わる。だから、まだ良かった。
だけど、遠方になったからと言って1回の訪問につき三泊や四泊もしていく。何の用で来たのかと問うと「子どもの様子を見に」とのこと。
本気でウザいと思ったね。
だから腐っていた。そんな状態を知らない夫は「ホテルで一緒に泊まったら」と言ってくれるが、冗談じゃないと心の中で罵っていた。
私は夫には何も言ってない。言っても信じてくれないから、それに死んでも言わないよ。
こんな私の一番古い記憶は10歳の自殺未遂。
親から「死ね!」と言われたから自殺をしようと海に飛び込んだのに、当時の担任に邪魔された。もとい助けられた。
「○○さん、何してるの?」
「あんた誰?」
その当時、私は覚えてなかった。まさか、その人が担任だなんて知らなかった。そんなにも他人に興味が無かった子だったの。
すでに名前を忘れていると言う。ごめんね、先生。
毒親の洗脳によって記憶は蓄積されるが、それは私の記憶ではない。
毒親の言葉だ。
決して私自身の経験ではなく、毒親からの言葉と経験で、私の中学生までの記憶は作られている。
洗脳から脱する
そんな私が何かが違うと思ったのは短大で寮に入ったからだった。
全国各地から集まるのは女だけ。女子大だから女ばかりなのは当然ですけどね。
家族自慢、群れたがり等と本当に色々といたが私は1人だった。同様な人もいたため浮くことは無かった。
私が一番最初に行動を取ったのはアルバイトだった。
いつの間にか親の知るところとなり図書館は1年間働けたが、ラジオ局では勝手に辞めさせられた。しかも、せっかく内定を貰っていたのに勝手に内定を取り消されてしまった。
自分の力を見せつけたがったのだろう。親の見栄と力が及ぶ会社へと入らされた。
一流企業だったけれどブラック企業なので2年間で辞めた。
それからは自分の思いで動いていた。なにをすれば良いのか分からず、手当たり次第に面接を受けていた。
親が用意していたのは見合いで、地元の有名人の息子。
結婚どころか恋愛もしたことのない23歳のうら若き女性が、見合いして結婚すると思うのか。それでも相手の方が断ってくれたので安心したものだ。
仕事先も決まり朝早く出て、夜遅くに帰宅するという日課が続く。それを選んだのは、毒親の顔なんて見たくなかったから。
月末の休暇が3日以上取れる時は長崎へ、唯一、私を1人の人間として見てくれるお婆ちゃんの所へ行っていた。
独身時代はハテナな時代
若い頃は自分のやりたいことが分からないまま、朝から夜まで仕事に明け暮れる日々を送っていた。それが意味することなんて全く知らなかった。
親に聞けば「それぐらい自分で分からないのか。まったく頼りない奴だなあ」と、罵られていた。
高校卒業するまでは親の言われたとおりにやっていれば良かった。
あの頃は優等生の言葉を返していれば良かったけど、社会人になるとそれではやっていけない。
自分で仕事を探すようになって、どうして親から虐められ、また物を投げつけられていたのだろうかと、グルグルと疑問に思っていた。
水泳のインストラクターをしていた頃、私の中学生の同学年だった人が働いていて、恋愛相手に驚いたものだ。
結婚式場では、本当に色々な方々と話をしていた。
本来は社長秘書として入社したのだけど、経理や企画などの一般事務もできるので裏方全般から、表である受付、営業事務や衣装の方等もしていた。
小規模の宴会では司会進行役や衣装係に指名されていた。そして企画の方では合コンなどのセッティングも任せて貰えるようになった。
お陰で、婚活アドバイザーとしての知識と実践が付いたので充実していた。
寿退社で円滑に辞めることができたのでした。
遅かりしの青春時代
そして時は過ぎ、現在の私は縁切りの手紙を渡し、毒親と距離を置いています。
- Twitterのフォロワーさんと会って話をしたり
- セミナーに参加したり
- 企画に参加したり
ぶりとらさん夫婦によるセミナー【四柱推命&起業の起こし方】セミナーで迷子の自分を見つけた!という記事で「やりたがり屋」だと自分で表現したが、先日の本屋で立ち読みした心理学の本に載っていました。
- 資格を取りたがる
- 色々なことに手を出しやりたがる
『それは子ども時代に十分に愛情をかけられずに育った証拠であり、こういったことをするのは青春を過ごしている証である。』と。
- 「そんなに資格ばかり取ってどうするの?」
- 「何のために取るの?」
そう問われると、どう答えますか?
私だったら考え込んでしまうので答えにくいです。
だけど、私の子どもは素直に感動していました。
「仕事しながら資格を取るだなんて、さすがだね。お母ちゃんって凄いや。いつ勉強してるんだろう」
そんな言葉を貰えるとは思って無くて、単純に嬉しかった。
あんたは自慢の息子だ。毒祖父母だけど、母はあんたを守るからねと強く誓った時でした。
分析を自分なりにまとめてみた
生まれ変わって10年。
今、まさに学びの時期ですよ!
だって10年ということは10歳なので、小学生。あれ?(凄いサバ読みの気が…《笑》
だから私は言いたい。
己を知り、磨いていく。
「人間って何歳になっても行動を起こす生きものです。これからを生きるのだから色々な知を身に付けましょうよ。
それを武器や盾にして、また鎧として身に纏い闘い生き抜く。倒れるのは生きものの道理だからね。
弱点があるからこそ、そこを補うために知力を付けるのだから。」
これって大切なことだと思います。
私は自分自身を知りたくて心理学に興味を持ちハマったの。
今回のオチは、これ。
【心理学って難しいけれど、楽しいね】でした。
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